丘の上で


 その、ふわりと微笑む≪彼・彼女≫が好きだった

 ―――それは決して、恋愛感情ではなかったけれど。



  



 彼らの出会いは、今から10年前に遡る。当時、少女は8歳、少年が11歳だった。
 彼らは共に王族の……国王の子女であった。
 隣国同士であったが、とてもじゃないが良い関係を保てているとは言えなかった。
 だが、2人は知らなかった。
 互いの身分を。
 自分の国と対立している国の、王子を。王女を。
 国の関係が、どれだけ悪化しているかを。
 2人は知らなかったのだ。
 知らなかったから、いつものように丘を訪れた少女は、眠っていた少年に惹かれた。
 知らなかったから、丘で昼寝をしていた少年は、声を掛けてきた少女に惹かれた。




 彼らは暇さえあれば、毎日でも出会った丘に集った。
 少女は以前からのことだったが、少年が訪れるようになってから、丘の上はにぎやかになった。
 時には話に花を咲かせ、時には歌をうたい、時には昼寝をし、時には昼食をとって過ごした。
 お互いに名前しか知らない。話す内容から、聡い二人は何かを勘付いていたかもしれないけれど。
 彼らはそれでも、互いを信頼していた。
 身分を気にせずに付き合うことのできる唯一の友人だったからだ。
 だが、丘の上での密かな集いは、年を重ねるごとに回数が減っていった。
 仮にも一国を治める王族の子。
 様々な作法や知識を身につけるため、城から抜け出せないことが増えたのだ。
 理由もなく、城から出ることが許されない日もあった。
 もっとも、それは両国の関係が悪化してたから過ぎない。
 そして更に月日は流れ、ついに、このような事態に陥ってしまった。
 2人の関係にも、終止符が打たれようとしていた。



* * * * * *



 外がガヤガヤとうるさい。
 怒鳴るような声、嘲るような声、悲鳴、剣のぶつかる音、落ち着きのない足音。でも、この空間の中でそれらはBGMと化し、妙な静寂に包まれていた。
「やっぱり、貴方が来たのね。グレン」
「……いつから気付いていたんだ?」
 彼女に剣先を向けたまま、グレンは問う。
「さあ? はっきりと決定付けるものが無かったから」
 ロールは、悲しそうな微笑みを浮かべていた。グレンも苦々しい顔をして、目を伏せている。新たな沈黙が生まれた時、それを破ったのはロールだった。
「私を、殺しにいらしたのでは、ないのですか? グラディス・ファイバー殿」
 それとも、私は捕虜になるのでしょうか?
 ロールの問いに、グラディスは更に渋い顔をして口を開いた。
「なんで……何でそんな風に言うんだ、ロール!」
 ロールが初めて微笑みを消した。なんの感情も読めない顔で、冷淡な声で。
「ラウル・F・シルヴィーですわ、グラディス殿。発音はほとんど変わりませんけど。お間違えにならないで下さい」
 こう告げた。
 グラディスは深く傷ついた顔になった。 でも、彼女の瞳に悲しみを含んでいるのを見つけて、そろそろと剣を持つ腕を下げていく。

「今、ファビウス軍が、優勢だ。じきにこの城も落ちるだろうし、シルヴェーヌの国王も引きずり出されるだろう。……でも、君だけなら、」
「なんですか? 敵に情けをかけようとでも、言うのですか?」
 あくまでも敬語のまま、冷たい声が響く。
「私は王の娘です。自分の立場くらい、わきまえているつもりです」
「っ、ロー……」
「ラウルだって言っているでしょう!」
 再び王女を“ロール”と呼ぼうとしたグラディスに、ラウルは感情を剥き出しにして叫ぶ。 押し込めていた様々な感情が前面に出て、ラウルは今にも泣きそうだった。
「貴方はファビウスの国王の息子で、ここへ先陣きってやってきているのよ?! そんな貴方が私を助けるですって? そんなの、許されるわけがないでしょう!!」
 頬をつたってしまった涙を、ラウルは乱暴に拭い去る。
 無感情だった顔は、悲しみと後悔に満ちていた。
「もういいの。もういいんだよ、グレン」
 でも次の瞬間には、丘の上で見せていた柔らかな笑みがラウルの顔に浮かんでいた。何もかも諦めたような声色に、グラディスが違和感を感じ、顔をしかめる。
「……ロール?」
 ラウルは顔を王子から背け、壁に飾られている剣を見つめた。
「……さっきも言ったけどね、自分の立場は、きちんと分かってるんだよ。だから、それなりの責任は果たそうって、ずっと思ってたの。相手が貴方でなくとも、私は国のために戦ったでしょうね」
 その剣に手を伸ばし、その柄を感触を確かめるように、ギュッと握る。
「時間稼ぎにもならないだろうけどね。これでも剣は好きなのよ?」
 そして、自分の前に構えた。 刃の反射の仕方から、それがレプリカでなく、真剣だということを物語っている。
「何かの冗談だろう? ロール。お前は姫で、女で、守られるべき存在なんだぞ?! それに、それに俺たちは、ずっと、10年間ずっと、」
「すごい饒舌だね。冗談なわけないでしょう?」
 何が面白いのか、ラウルは自分でも分からずにコロコロと笑う。
「私はこの国が好き、国民の皆が大好き。……もちろんグレンも大好きよ。今日は珍しい貴方を見れて得したわ。でもね、その大好きだったグレンは、敵なの。ねえ。悲しいね、グレンっ」
 話している途中で、突然ラウルがグラディスに切りかかる。グラディスは条件反射ですぐに避けたが、よほど切れ味のよい剣なのか、服が少し切れていた。
 自然と彼の視線も鋭いものになっていく。グラディスの目はとても冷たく、でも強く光っていた。
 そんな彼に、ラウルは間合いを取りながらフッと小さく笑んだ。
“やっと本気になってくれたの”
 とでも言うように……。
「本気、なんだな?」
 今のラウルの微笑みと、丘の上での“ロール”の笑みはやっぱり同じで、グラディスは切なくなった。
「今更だわ」

そして、悲しげにグラディスの左胸に刻まれた国章を見やった。

「……グレン、私たち、出会ってはいけなかったのね。お互いを知るべきじ、ゃなかった」



 剣をかかげる彼女の手は、悲しみからか恐怖からか、かすかに震えていた。
 そして、ずっとポーカーフェイスを保っていた顔は、今にも泣きそうだった。



「俺は、会えて良かったよ」



 グラディスは、優しい優しい笑みを浮かべていた。
 丘の上で“ロール”の頭を撫でていた“グレン”の微笑みと、やっぱり同じだった。




 ―――――踏み出たのは、どちらが先だったか……。

 ポタリと、ふたつの雫が床に落ちた。






 そのふわりと微笑む≪彼・彼女≫が好きだった。

 それは決して恋愛感情ではなかったはずだけれど。

 もしかしたら、本人達が知らぬ間に、「友情」が「恋情」に変わっていたのかもしれない。



fin...